プロフィール

田井 牧夫(本名)

賢治の没後、三年の年に四国の農家に生まれる

貧しいなかでも、父は本を買ってくる人で、そのなかに

宮沢賢治のものもあった。20ねんほどまえには数冊あったが

いま手元にあるのはこの本である。姉と一緒に布団のなかで

よく”読み聞かせ”をしてもらった

本銀河・表本・銀河・裏2

銀河奥付

太平洋戦争突入のまさにその時に出版せれていたのです

後書きは童話作家の坪田譲治   証紙の印は 宮沢

宮沢清六さんはじめ多くの方々のご意志と出版社の決断に

大いなる敬意をおぼえます

あの時代に、まだ無名に近かった作家の本の初版本を

手に入れて、読んでくれた没後丁度50年の父にも感謝したい

母も読書をする、またよく歌を歌ってきかせてくれるひとだった

父はまた新しい物好きで当時(戦中)としては、田舎ではめずらしい、蓄

音機を買ってきて、宮城道夫、東海林太郎、森の鍛冶屋、森の水車、金

婚式など意味はだれもわからないのに、シャンソンのレコードまでありジ

ャンル不明の収集ぶりであった。戦後はサウンドボックスに換えて電気

式のカートリッジ(針は鉄のまま)を着け、高一ラジオ(高周波一段増幅)

のグリッドにブーブーいわせながらつないで聞かせてくれたときは音の良

さに感動した。その後、電蓄(電気蓄音機)も買ってくれて、「舞踏えの勧

誘」などや新しく入ってきたアメリカン・ポップスの「テネシー・ワルツ」など

も聴くようになった。ラジオでは「S盤アワー」全盛期がつづいた

これ以上、音楽放送の歴史などを語っても意味がないのでやめます

とにかく、全人生を通じて、読書と音楽を聴くことは絶えることはなかった

(ギターを若いとき、ピアノを初老になってトライしたが挫折)

どんなときでも、乾いた喉に、乾いた砂にしみむこ水のように音楽を聴いた

このことが、「死にいたる病」からなんども救ってくれた

 

まことに口幅ったいことではあるが、賢治が音楽に求めたもの、愛した

気持ちなど、すこしは解ると思いたい

さて、このブログを書くことに至った理由うについてはまったくふれて

いない

別項で記します

プロフィール」への10件のフィードバック

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